静岡市には東海道の宿場町が蒲原、由比(由井)、興津(奥津)、江尻、府中、丸子(鞠子)と6ヶ所あって、小学校が宿駅制の勉強に訪れることも多くあります。先日、当会の会員施設の一つである「志田邸」・「東海道町民生活歴史館」の館主である志田威(しだたけし)氏が永年の研究成果をまとめられ「東海道五十七次の魅力と見所」と題した著作を2月に出され、静岡市内において特別講演会が有りお誘いをうけましたので参加してきました。
「東海道53次」の始まり
徳川家康は関ヶ原に勝利すると直ちに宿駅伝馬を検討させ、翌慶長6(1601年)1月に江戸日本橋~京三条間126里(約500㎞)に宿駅伝馬制を開始し、宿駅には「伝馬朱印状」と御伝馬之定」を交付しました。これにより公務の旅と公文書輸送の円滑化が確保されました。
宿駅制定時期は一律ではなく、当初設定されたのは40宿駅程度で、京まで53次になったのは23年後のことです。
・遅れて開設された宿駅の主要駅)
川崎宿 元和9年(1623年)
袋井宿 元和2年(1616年)
石薬師宿 元和2年(1616年)
庄野宿 寛永元年(1624年)
「東海道57次」の始まり
大阪夏の陣(慶長20年1615年)に勝利し豊臣家を滅亡させると江戸幕府は1616年大阪街道(京街道)を活用して東海道伝馬制度を大阪まで延長しました。最終的にこの間に伏見、淀、牧方(枚方)、守口の4宿を置き、大阪高麗橋までの139里(約550㎞)を道中奉行が東海道として直接管理しています。天保14年に道中奉行が五街道をはじめ主要道の調査を行い、その結果を宿村大概帳として整理していますが、この中でも品川宿から守口宿までの57宿駅は東海道として記録されています。
志田邸・東海道町民生活歴史館での子供たちの見学風景
雑学
木賃宿:旅人は旅籠に泊まる人もいましたが、旅に出るには多額の費用を必要としたため、鍋釜持参で自炊しながら旅をする人もあり、この旅人達に薪代だけで泊める施設を木賃宿と呼びました。
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